平成2年に創業者が、みずほ台の地に小さな塾をつくる。
最初は、生徒はたったの一人だったと聞いている。
そして、10年以上が経過し、
何人かの卒業生たちが、先生として戻ってきた。
その一人が、この俺だ。
2007年くらいだったか。法人化へ踏み切る。
俺は共同代表に。
しかし、その翌年、創業者は「あとは、任せる!俺はやりたいことがある!」
と出ていってしまう。笑
仕方ない。
俺が代表をやるしかない。と覚悟を決めた。
当時は24歳とかだったと思う。
若い俺は、本音では自信がなかった。しかし、やるしかなかった。
当時の思いを振り返る↓
創業者から成功した塾を受け継ぐ苦しさわかりますか?
しかも、2校舎目で看板も登記も変えたから、僕は創業者でもある、先生たちも俺が採用育成した。銀行借入連帯保証もだ。
ゼロからやった方が楽だったんじゃ?って何度もいわれたよ。そりゃね。
でも、会社はすでに銀行から数千万借入あったし
従業員も数名いたから、俺が引き継ぐしかなかった。無責任に独立とかできなかった。
「創業者を追い出し、塾を乗っ取ったのか」
と言われたこともあった。
ふざけるな。
創業者が急にいなくなった、そのあとの塾を守り抜いたのは俺たちだ。
必死に、大切な塾を守り抜いた数名の先生たちに対して「乗っ取り」とは失礼すぎる言葉だった。
まぁ、言わせておけばいいか。
そんなのは無視して、目の前の生徒たちに尽くそう。
数名の先生たちは必死にこの塾を守り抜いた。
そうしていると自然と生徒数は増えていった。
そして、気づくと、生徒数が180名を超え、募集を停止しなければ教室がパンパンになってしまった。
このあたりから、俺は、2校舎目の構想を一人練った。
当然、初めての経験。
成功するかわからない挑戦だった。
ただただ怖かった。
眠れぬ夜が何度もあった。
しかし、一方、毎日使命感が強くなる。
生徒や保護者様に「エイメイのおかげで」「エイメイに出会えてよかった」
そんな言葉をかけてもらうたびに。
エイメイは、一人でも多くの生徒、保護者様のために、拡大せねば。と
そして、、、
その2へつづく、、、